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執筆者の写真石井 力

ゾロアスター教徒の中で(エッセイ3⃣)

更新日:2022年10月16日



第一、第二門を守る門衛の数人は、不審者をチェックするといっても、外部者に余り失礼な態度はとれないため、ヒゲなど生やして見かけは恐ろしそうでも、実はそれ程でもない。彼等には、出入りする顔見知りの食料品、雑貨類を扱う商人それぞれの認証をはじめ、訪問者への道案内、スタートできない車の後押し、大荷物を運ぶ人へのインスタント・クーリー、タクシーがほしい人への配車サービスなどの仕事がある。空タクシーはコロニー入口に朝は大てい列をなして止まっているのだが、私が外出などしようとすると門衛がとんできて早速一台手配してくれる。扉をあけ、私が乗り込むと、白手袋していてもしていなくても挙手の礼をして、『バイバイ』と言ってくれる。その中でいつも『オールウェイズ・アット・ユア・サービス』と言う人がいて、余りきれいでないタクシーに乗り込みつつも何だか女王様にでもなったようで、おかしかったものだ。

その他にもう一つ、門衛さんの仕事で大切なことがある。それは夜十時から翌朝六時迄、一時間ごとに時間を知らせることだ。たまたま眠れない夜は、この時計を毎時間数えることになる。私達の真向かいの運動場のあたりで、拍子木のようなものでカンカンと打つのだ。ジワッと寂しいような懐かしいような音だ。四時頃になると、近くのサーバントクオーター(バウグの片隅には、サーバントの住む長屋式アパートも設置されている。)から鶏も啼くが、鳥が鳴き交わし始める。牛乳ビンの音がカチカチとする。サーバント達が主家の為に州政府のミルクトラックから牛乳を受け取って来た音だ。(長いこと、ミルクは配給制だった。)ちなみにパーシーはサーバントや肉体労働者にならないから、私達の為に働いてくれる人々は本来のインドの人々である。



しばらくすると近くのモスクからコーランの美しい響きが拡声器をとおして聞こえはじめ、そして道の角のカソリック教会が鐘をうつ。このコーランの響きは最も異国的で、いつになっても故郷を遥か離れているというわびしい思いを一瞬私におこさせる。

七時以降、強い朝日の光と共ににぎやかな活動の時間が始まる。ベルを押してサーバントが訪れる。牛乳が届けられる。そして名物の物売りの声が始まる。

ルスタム・バウグの生活の便利な点は、御用商人が毎日来てくれることだ。必ず来るのは肉屋、魚屋、八百屋、ココナツ売り、バナナ売り。パン屋はとても早く来る。クリスチャンのパン屋さんの頃はとても優しい人で年老いた主人の父と仲良しだった。目や耳の不自由な九十歳の老人にいつも大声でお愛想を言った。何年たっても愛敬のある青年の顔は忘れられないが、その後、舅も逝き、パン屋も今はムスリムの人だ。(もともとパン食をするのは、クリスチャン他ムスリムなど、中東系の文化を踏襲する人々らしいというのは、発見であった。代わりにヒンズーの人は一般にチャパティを食す。)


水曜日と土曜日は特に許されてたくさんの商人がやって来る。廃品回収の人、綿を打ち直す人、包丁をとぐ人、マサラ(香料)を粉にひく重い石の台にギザギザをつけなおすジプシー風の女性達、ペンキ屋、家具なおし、ガラス屋、大工、床屋、様々の人々が様々に声をはり上げてやってくる。声のはり上げ方は職業ごとに一応きまっていて、耳なれた人にはすぐ解る。頭のてっぺんからカンダカイ声を出す人、つぶれたしゃがれ声を出す人、言葉の尾を長くひく人。昔、東京の下町に声を張り上げて売り歩いた色々な職業の人がいたというが、似ていたのかもしれないと思う。綿をほかす人は、ちょっと見にはあのインドの楽器、シタールか、ハーブを抱えているように見える。ハーブの小さいような台に弦がついた道具を持ち、宣伝の折りはそのつるをビンビン鳴らしてその音だけで彼が来ていると解るのだ。どうも袋状のものに綿をつめてその道具をつっこみ、中で弦をひいて綿をもう一度フワフワにするということらしい。こうして水曜日と土曜日は、朝寝をしたくとも、とてもできない騒がしい朝となる。



商人の中でも八百屋、魚屋、肉屋はかなり大勢やってくる。八百屋などは殆どが決まった客をもっており、私の所へもそういった人がやってくる。もちろんその日欲しいものを彼女や彼が持っていなければ、窓から見張っていて他の八百屋を呼んでもよい。大抵は商品を平たい籠に入れて頭にのせているから、二階の窓からは何を売っているのか実に良く解るのである。もう少し手広く商売をする青年は、比較的大きな荷車の上に品物を積み上げていた。これも上手に荷台に商品をディスプレイしている。見つけたら手をたたいて呼べば良い。すぐ振りむいてくれる。魚屋は種類をとりまぜて売る人あり、エビだけ、カニだけの人もあり様々だ。又開いてきれいにしてくれる人もあればそれをしない人もある。やはり良く面倒を見てくれる人のは高いが、値段を交渉するのも主婦の才覚である。新鮮かどうかも自分が良く見きわめて買わねばならない。でも大体の場合、イキの方は大丈夫だ。ボンベイは海に臨んだ魚のおいしいところである。もっとも中には売り残して昼近くなってもさばけず、泣かんばかりに『安くしておくから』などと言って来る商人もいるが、やっぱり情にほだされずに良くみなければならない。

肉はなんといってもマトンが好まれる。この頃は大きな会社が真空パック入りを作っているから、ちょっと遠くてもその店へ出かけて買ってしまうが、以前はムスリムの人々の売り歩くマトンしかなかった。骨つきのものを足肉とか、肩肉とかいって、既に五百グラム、一キロと分けてあるものを購入する。インドでマトンというのは実は山羊肉で油も余りなく、インド料理には最もおいしい肉だ。このゴースワラ(マトン売り)の合図は自転車のベル。皆器用に乗って、チェックのルンギ(腰巻)姿でやってくる。魚屋やゴースワラの後には、犬や猫の行列が出来て、何匹もくっついて歩くのもおかしい。この人々がそれらをムゲに追い払わないで、切れ端などやっているのもインドらしくほほえましいのである。


祭日などには花屋もやってくる。これも底の平らな籠を頭の上にのせて、グラジオラス、バラ、アスターなど色良く並べている。他にトーランといって木綿のヒモに花々の首だけをとおしてドア飾りを作って売る人もくる。トーランは、祭日には欠かせない縁起物である。風船売りは、風船をしごきながらキーキー音を立てて子供を呼び、面白いところでは、小馬(ポニー)を何頭かひいてくる人もいる。首に大きな鈴をつけ飾り立てた馬。バウグの子供達は大はしゃぎで乗せてもらい運動場の周囲をまわってもらう。ロバをつれてきて、乳を売り歩くのもある。馬の乳はすぐ飲まないといけないということで、ビン入りではなく、その場で搾乳して売るのだ。フレッシュなのは無菌だそうだが、 ちょっと気味が悪くて私は未だ試したことはない。          


斉藤碧(S39英米文) 


            

                                 続く・・

 


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